十字屋山形店 最期の日

 

 

 

山形駅前に十字屋山形店ができたのは1971(昭和46)年。それまでは七日町の

みつます東側に店舗があり、そこから白蝶手芸店のあった場所に移転したことになる。

 

1973(昭和48)年に同じく山形駅前にダイエー山形店、山形ニチイなどができると

それまで中心街であった七日町を向こうに回して大商戦を繰り広げることとなった。

 

 

    

 

当時は鉄道駅は利用者も多く、遠隔地からの集客力もあったことから駅前組は

隆盛を極め、七日町商店街を脅かした。ダイエーがバスターミナルを備えていたこともあり、

鉄道、バス、そして右肩上がりに増えていた自家用車に対応した駐車場を味方につけた

山形駅前商業圏。それまで大規模店舗としては山形ステーションデパートのみだった頃に

比べれば大革命といえるほどの急速な成長ぶりであった。

 

 

 

しかし、同じく山形駅前商圏を構成しているダイエーにある山交バスターミナルが

笹谷自動車道の高速化に合わせ、仙台行きの高速バスをすさまじい勢いで増発すると

買い物客は1時間強で移動できる仙台市に流れ始め、駅前商圏に暗雲が立ち込めるようになる。

 

    

 

その後、ダイエー子会社中合傘下に入るなどしながらも健闘を続けるが、ダイエーそのものが急転落、

鉄道移動の人も減り、駅前のメリットがなくなってきた。このころになると大規模郊外店の伸長、

建物の老朽化と耐震基準の未充足などの問題も持ち上がり、2016(平成28)年には

開業以来最低の営業成績を記録した。

 

 

    

 

低業績の中、建物の更新はままならず、2017(平成29)年、ついに運営する中合は

翌年をもって十字屋山形店を閉じるとの発表をするに至った。

 

 

    

郷愁をそそるデパート食堂

    

当初はエレベーターガールが操作していた

 

 

 

 

最終日は2018(平成30)年1月31日。寒いさなかではあったが別れを惜しむ

多くの買い物客が訪れ、店側も残った品を格安で販売するなどして長年の愛顧に

応えていた。閉店時刻には店の前に人だがりができ、最期の時を待った。

 

    

 

    

 

閉店のあいさつとお礼の声を最期に二度と上がることのないシャッターが静かに閉じていった。

 

 

十字屋山形店 昭和46年から平成30年(1976ー2018)

 

 

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