旧済生館というと霞城公園に移築された文化財の建物を連想するが、
あれは厳密には旧々済生館であって明治12年に建築されてから昭和42年
ころまで現在地にあったものである。昭和42年以降平成6年頃までは画像にある
「旧」済生館が山形市の中核医療を担っていた。
大沼とジャスコの間から済生館を望む
この方面から見る分には全く特徴のない平凡な建物であった
利用者は多く、平面の駐車場だけでは対応しきれなくなっていった。
場所柄、見舞いのついでに買い物をする人も多く、駐車時間は長くなりがちだった。
病院という施設の性格上、通常の業務を遂行しながら同時並行で新しい
建物を建てることになる。背後の鉄筋が当時建築中の現:済生館。
大沼の西側にはペットショップがあり、道も1本あったのだが新館建設地に充てられた。
西側には昭和初期建造の優雅な形をした病棟もあったが、新館建設時に残念ながら全て撤去された。