菊池履物店

 

 

薬師町から馬見ヶ崎橋を渡ると、最初に出迎えてくれる双月町の建物がこれであった。

 

 

1991年 営業時

 

向かって左端の看板の隣にうずたかく積まれていたのは下駄の台木であった。

既に歯を切ってあり、鼻緒をすげるだけになっていたのだが、長年積んでいたものとみえて

木は白っぱけており、売り物にはなるまいと思える状態だった。ディスプレイの役だったのだろう。

 

この店の手前には駄菓子屋のような簡易店があったりしてだいぶ以前には子供達もたむろしていたようだが、

90年代には人通りも少なくなり、この履物店に下駄を買いに来る人の姿も途絶えた状態だったように思う。

 

 

 

   

背後に立つ 1,2,3の看板がやけに目立つ

 

 

東を望む

 

  

道路を挟んで向かい側にも履物店があった

 

いつ頃からなのかははっきりしないが、気がつくと店は閉まったままになってしまっていた。

履き物も例に漏れず大規模店の勝利で、町なかの小さな店は採算が合わなくなっていたのだろう。

更に下駄の需要も皆無とはいわないまでも、祭りの近辺のみになってしまい、そう数は出なかった

筈である。だれしもが自動車を運転するようになってからというもの、運転に不向きな履き物は

極端に売れ行きが細ってしまっていたようである。

 

店を閉じてからは窓にベニヤが貼られていた

 

 

広告看板だけは新しく替えられていた

 

シルバー人材センターの看板の上には「これより 双月町」と書いてあったように記憶しているが

年月が経つに連れ、読みとりが難しくなっていった。看板に隠れているがこの位置にも窓があったはず。

 

 

菊地ではなく菊池であった

 

 

    

昭和そのままの雰囲気  店前のゴミ箱は木製であったか

 

 

角の建物としてまとまりのよいデザインだったように思う。

正面に「双月町」の文字を掲げていたように、双月町の入口を示すと同時に

この町を代表する建築物でもあった。姿が消えたことにより町のシンボルが無くなった気もする。

 

けれども商売が続いていれば撤去されなかったかというとそうでもないようで、

薬師町から馬見ヶ崎を越え、双月町方面まで道路拡張の予定があるらしい。馬見ヶ崎橋を

含んで、いずれ沿線の建物は姿を消す運命のようだ。現在の交通の流れでは不備なのか、

釈然としないが、薬師町通りも櫛の歯が欠けるように建物が消失し始めている。

 

 

 

   

いずれこの場所が道路になるのであろう

 

この建物に関して詳しい資料はなく、昭和前期であることは間違いないであろうが

はっきりした竣功年は不明である。取り壊しは2004年頃であっただろうか。

 

 

菊池履物店

 

 

 

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