CoCo21
昭和40年代まで七日町通りには、まだ蔵が並んでいた。そのうち幾つかは大沼デパートに隣接する虎屋酒造の
ものであったが、この場所に昭和47年、ジャスコシティビルが建設された。敷地は虎屋の酒蔵だけでは足りず、
近接の千足屋、槌屋呉服、それに当時七日町にあった山形新聞までを買い取っての新規ビル建設であった。地下には
ヤマザワ、地上にジャスコ、パチンコ毎日会館が入り、さらに7階には当時ブーム中のボウリング場が計画されていた。
入居する予定のボウリング場は石巻の業者が経営するものであったが、細部の調整がうまくいかなかったのか、
計画のみに終わったようである。そのため、予定されていたスペースはしばらく空きのままであったようだ。
当初は大沼と並んで好調を維持するジャスコであったが、時代が進むにつれ駐車場不足が大きな
足枷となってきた。オープンした昭和40年代末には自家用車普及率も上がりかけていたが、まだ
トータルの台数的にはそれほどでもなく七日町大通りでは歩行者天国を催す余裕があった。しかし
昭和50年代半ばを過ぎると休日には長く行列しなければ駐車できないという事態も起き、七日町
中心部が徐々に敬遠されるようになってきたのである。
山形駅前のダイエー、十字屋については七日町より若干自家用車対策については先んじて
いた。特にダイエーについては建物内に駐車スペースを持ち、かなり離れたところから歩いて
こなければならない大沼などより有利だった。
ジャスコ開店当時はこの吹き抜けが印象的だった
結局ジャスコシティは平成5年にこの建物から撤退することになる。山形市民の多くはこの時、
「ジャスコは潰れた」と思ったものである。まさか後年、山形市を南北から挟み撃ちし、七日町
のみならず駅前まで滅ぼす勢いで帰ってくるとは誰も想像の片隅にさえなかったはずである。
100円ショップと手芸店キンカ堂
ジャスコが抜けたあと、このビルは若干の閉鎖期間を経てCoCo21として再出発することになった。
21はもちろん21世紀を表すものであっただろう。しかし、この種のネーミングを受けた店の多くが
皮肉なことに21世紀を迎えてまもなく倒れていくのだった。1999年に地球が滅ぶかのような予言
をしたとして注目されていたノストラダムスが、2000年の到来と共に忘却されてしまったのと同様のことである。
文化センターなども入っていた
客の姿はほとんど無い
最上階からは子供の遊技場が消え、フェイク美術館が入るなど、話題作りに努力する
様子もあった。しかし、肝心の販売力のある店舗が入らなかったこともあってCoCo21は
ジリ貧の業績を辿る。末期には2階と3階にそれぞれ別の100円ショップが入るなど、
統合性の失われた店舗配置になり収益性もかなり低くなっていたものと思われる。
CoCo21はこのままでの存続が困難、という空気が目に見えて日に日に濃くなっていった。
2004年8月をもってCoCo21の閉鎖が伝えられたのはそれから間もなくのことで
あった。既に向かいにあったミツマスも無くなっていたこともあり、地下の食品店のみは
できる限り営業を続けるということではあったが、建物の撤去予定も決まったのである。
建物の取り壊しは2006年初旬より始まり、花笠祭りまでにはすっかり姿が無くなった。
跡地には川西町出身の作家・井上ひさしが打ち出した七日町劇場構想が実現するか
とも思われたが、途中で立ち消えになった模様である。七日町復興の要素は今のところ見えてこない。
ジャスコシティ/CoCo21 1972−2006
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