山形駅西夜景

 

 

霞城セントラルが整備され、公的な工事が一段落着いたあとも周辺の建物の更新は続いた。

開発の波に乗り、新たに進出した大手チェーンもあれば、逆にそのあおりを受けて立ちゆかなく

なる店もあった。開発が進めば商売は栄える、という単純な図式は成り立たなかったようだ。

 

 

西口の環境は一変

 

 

ホテル・マンション群は未だ建っていない

 

 

 

共同書房

 

この建物は最後まで強制移転反対を唱え、残されていた。しかし最終的には

代替え地への移転をせざるを得なかったようだ。移転先の地は商業地では

なかったため書店は廃業に追い込まれたという話も聞いたように思う。

 

(現在は偽装改築で有名になった東横インの敷地になっている)

 

  

 

 

東洋曹達、国鉄アパート群等を退去させて作った広大な土地は、しばらくの間

用途不明で自動販売機を並べたり、柵で囲って遊休地にしたりしていた。

 

 

 

  

 

中華料理 孫悟空

 

 

   

 

  

丹野酒店も消えた

 

一見変わりがないように見えるこの通りも、気づいてみればほとんどの店が

入れ替わったり廃業したりしている。商業振興のための開発ではなかったのか。

 

 

  

丹野酒店横のファミリーマートも撤退した

 

 

荒砥行き の表示は今もあるだろうか

 

 

  

消えた老舗

 

ひなびていた駅西の時代から長く続いていた有名店は、開発が進んで駅西がひらけてからは皮肉なことに衰退した。

市民に親しまれていたはずの焼肉アリラン、料亭上条などの有名どころも例外ではなく、静かに消えていった。

 

アパートに住んでいた多くの人々や、古くから営業している地元の店などを退去させてまで

おこなった大規模開発が、県外資本への土地の提供・支援という形になって地元商業の衰退を

招いているのはどうしたことか。「開発=地域繁栄」と信じて協力した人も多かっただろうに現状の

姿は残念である。県内の一等地を大規模県外資本に譲り渡すことが土地の「有効」活用であるか

のように考えている都市計画では、山形を首都圏有力企業の植民地とする結果になるであろう。

 

 

2001.12 記録

 

 

 

 

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