ジャスコ赤湯店

 

 

 

「南陽」という市の名前よりも「赤湯」という地区名の方が有名である。

幹線道の国道13号沿いにあること、温泉があることなどが主な理由であるが

南陽市ができる昭和42年以前の赤湯町と宮内町の意識が地元には強く残り

「南陽」というくくりよりも「赤湯だ」「宮内だ」というあたりをはっきりさせたいと

いう思いが影響をもたらしているものと思われる。市としての歴史は浅い。

 

 

  

 

 

南陽市の中心としての赤湯に相応しい大規模店舗が必要として

ジャスコがこの地に進出したのが1982年。以後、今まで米沢市まで

出かけて買い物をしていた人々を地元で受け入れられるようになる。

 

 

  

 

  

 

 

地元で一通りのものがそろう便利さ、子どもを遊ばせておけるゲームコーナー、

雪で塞がれることのない広い駐車場など、当時の人々の求めていたものが

ここに集約されていたため、他には地元商店街しかなかった町ではジャスコは

大人気になった。近隣の上山市からもだいぶ多くの人が訪れていた。

 

 

  

 

  

 

1階は主に食料や生活用品。2階は衣料品を中心とした売場となっており、その間が吹き抜けになっていた。

 

 

 

  

 

  

 

 

 

ジャスコの美点は、名だたるデパートが一貫して切り捨ての方向に向いていた

「子どもの居場所」を保ち続けていることである。売り場面積の割には子供向け

ゲームコーナーはそれほど収益の上がる部門ではないと思われる。そのため

かつて広大な遊技スペースを持っていたデパートはこの部門の削減を続けた。

 

その結果、県内のデパートからはほとんど全て子どもの遊び場が消えたが、

皮肉なことにそれで収益が伸びたというデパートもない。むしろ遊び場の削減に伴い

収支も悪化する状態であった。子ども連れにとっては買い物の間、子どもも楽しめる

空間がなければ、休日を長時間過ごす場所としては不適切なのであろう。

 

 

   

 

   

 

   

 

   

 

 

   

 

 

 

しかし、好調であったはずのジャスコ赤湯店も、出店20年を超える頃からは

順風な状態とはいかなくなった。米沢南陽道路をはじめとする道路網の整備、

米沢市内に進出するサティ等の新設店舗の魅力に押され、店舗の旧式化が

目立つようになった。ジャスコ本体は過去最大収益を更新する勢いであったため

大規模改築も選択肢にあったはずだが、イオングループは別の選択をした。

 

   

 

   

 

 

   

 

  

 

  

 

イオングループは、新13号線沿いの場所を別に確保し、複数の業種の店を集めて

イオンタウンを形成することを選んだ。ここにジャスコ赤湯店の終焉は決定的になり、

2006年2月20日が最後の日であることが発表された。

 

 

 

  

 

  

 

 

建物が他のものに流用されるというわけでもなく、解体撤去になるのであった。まさしく「完全閉店」。

湿った重めの雪の舞い降りる中、ジャスコの最終セールは続いていた。

 

 

ジャスコ赤湯店  1982−2006

 

 

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