山形城趾(現霞城公園)に歩兵第32連隊が駐屯していた頃、場内は錬兵場でもあった。
歩兵としての戦闘訓練は当然であるが、戦争兵器として飛行機が注目されるようになると
訓練飛行までもが場内、上空を使って試行されるようになったようである。歩兵に飛行機
とは?と思われるかも知れないが、空軍の概念は航空機が発達した現代でこそはっきりして
いるが、飛行機が主力兵器として注目されていなかった時代は、陸軍、海軍ともにそれぞれ
地上・海上兵器の補助として航空機を位置づけていたのであろう。
現在の霞城公園から航空機が離着陸する状況は想像しがたいが、軍が力を持っていた
頃にはそのようなことも許容されていたのである。今、同様のことをやれば霞城セントラル
をはじめ、高層建築物に飛行機が衝突することは目に見えているものの、霞城公園以西は
田園・畑地帯であった当時には別に誰も危険を感じることもなかったにちがいない。