山形こうしえん
山形市南栄町にあったバッティングセンター「山形こうしえん」は、昭和50年代の初めには既に存在していた。
当然、「こうしえん」とは兵庫の甲子園球場をイメージに使ったものであることは間違いないが、
名称権に遠慮したものか、あえてひらがなの命名となっていた。姉妹店か不明だが米沢こうしえんも存在する。
赤湯の鳥上坂付近や、今は亡きシネマ旭の屋上にも古くからバッティングセンターがあったため、
決して県内初の施設ではなかったようだが、料金的、地理的なものもあってか利用者は多かったようだ。
打撃ケージは10数室あったが、開設時代を反映して大半が右打席であったため、
松井秀喜やイチローなどの左打者がブームになるころには左打席に順番を待つ人の姿が
多く見られるようになった。しかしそれでも打席は増えず、右打者優先は変わらずであった。
開設当初、100円で20球ほど出ていたボールは末期には15球ほどになっていた。
それでも後発の室内型センター(20球400円程度)に比べれば料金は安く、少年野球の打ち込みにも
使われていた。ボールは軟球だったが、バッティングセンター専用のものらしかった。
表面はすり減り、模様の消えているものも多くあったが、打撃には差し支えなかっただろう。
投球機は機械式アームそのままのものが主であったが、「くわたくん」と名付けられた投球人形と連動させたもの
が1台あり、ユニフォームを着せられていた。これはのちに現れる選手の画像を使った投球機の先駆けだったと思う。
変化球専用機では、主にカーブが練習でき、ほかにスローボールや速球も体験できた。速球といってもプロの基準からすれば
大したことのない130q/hくらいであったのだが、我々素人には目がついていかないほどの速さに感じられたものである。
150やそれ以上の球を撃つプロの凄さをあらためて思い知ることができる場でもあった。
打ち返した球がプレートに当たるとチャイムが鳴って商品がもらえるシステムが初期には好評で、
洗剤や100円の代わりに使用できるコインなどの景品がもらえる楽しみがあった。のちには
そうしたシステムは省かれてしまったが、それでも大きく集客には支障なかったようだ。
まだバッティングができない小さな子は併設されたゲームコーナーで遊ぶことができ、家族連れにも過ごしやすい空間であった。
もちろんナイター設備があるため、勤め帰りのサラリーマンなどの夜の楽しみの場としても機能していた。
野球のほかにテニス愛好者にはサーブマシンも用意されていた。使用頻度はさほど多くは
なかったようだが、中高生の練習用に使われる様子がよく見られた。
常に一定の集客があった山形こうしえんも、2020年ころからのコロナ騒ぎでは使用機材の消毒など
経営には不利な状況が続いたものと思われる。当時は人が触ったものに触れることは極度に警戒されていたこともあり
想像するだけでもバット、ボール、ケージの扉、いす、テーブル、ゲーム機それぞれを消毒管理するなどは労力的に多大であったはず。
危機の老朽化もあったのか、2021年には営業停止の判断となったようだ。9月には施設の撤去が始まり、
あっという間に更地となってしまった。需要はまだまだあったはずなのに惜しいことになってしまった。
山形こうしえん 1977頃〜2021