朝日町立 大谷小学校 大暮山分校

 

 

 

かつては8校ほどもあった朝日町の小学校は、さらにいくつかの分校を持ち、

通学不便な地域性をきめ細かくカバーしていた。その中で大谷小学校の

分校として僻地1級の扱いとなっていた大暮山分校は分校の名に似つかわしくないほどの

大きな校舎を持ち、広大な運動場を従えて威容を誇っていた。

 

分校とは思えない堂々たる校舎

 

 

    

向かって右には体育館

 

本校である大谷小学校の創立は、戊辰戦争の影響も冷めやらぬ明治6年。

翌年の明治7年には大沼学校(のちに分校)、明治16年には大暮山分校が

発足している。大谷小学校には明治43年、川通分校が更に加わっている。

 

 

体育館内部

 

 

   

校内の様子

 

 

最盛期には本校も加え、650人を超える児童が通っていた大谷小学校も昭和の末期には

3分の1ほどの人数になり、大暮山分校は平成11年の3月をもって廃校となった。

 

校舎の向かって左には宿直棟とプール

 

 

  

宿直用の生活スペースは和風住宅                   分校には珍しくプールが設置されていた

 

しかしその後も校舎は残り、ある企画に利用されることから注目を集めるようになった。

企画とは「白い紙ひこうき」大会。子供のころ、誰もがやりたかった、けれども多くの場合

禁じられていた、校舎の窓から紙飛行機を飛ばす、という行為が大会となったのであった。

 

  

この2階の窓から多くの紙飛行機が放たれた

 

 

大暮山(おぐれやま)分校表札

 

企画が10年を迎えたころ、さすがに年季を加えた木造校舎は吹き付ける風雨、豪雪の重みに

耐えられなくなり、一部が崩壊するに至った。朝日町は解体費用を予算化し、平成21年の夏が終わる

ころには校舎は跡形もなく解体され、校地は明治16年以来126年ぶりに更地に戻ったのであった。

 

 

朝日町立 大谷小学校大暮山分校  明治16年(1883)〜平成11年(1999) ※解体撤去は平成21年(2009)

 

 

 

(topに戻る)        (他市町村topに戻る)