大沼山形店 2

 

大沼破産の一報がもたらされた日の夕方のニュースで取材を受けていた

金券ショップの主人がいみじくも言っていた「今回の動きには悪意を感じます。」のことば。

 それもそうだろう。商品券は金券ショップの扱っている物も含め、一斉に額面の価値が失われた。

 

大沼旧店舗は2階建てだった

 

金券はいわば私設貨幣のようなもので、販売してしまえば先払い金が発行元に入り

購入した人が使おうと紛失しようと発行元には損は来ない。むしろ不使用率が高くなれば

更なる利益が生まれる仕組みになっている。閉店セールを実施すれば当然のことながら

商品券を持っている人たちは使い切ろうとするわけだから、それをさせまいとするのは

顧客に損をかぶらせようと意図するものであったと勘ぐられても仕方ない。

 

 

     

 

 

被害者を生む形での決着のつけ方は、大沼に愛着のある立場であったなら絶対に避けたいところであるはずである。

特にその被害が大沼友の会はじめ、愛顧の情が濃い立場の人ほど大きくなる形は手ひどい裏切りとさえいえる。

力を尽くした感を演出しての記者会見を行った社長は怪しげなファンドが連れてきた人のようで、大沼にさほど

思い入れのある人とは思えなかった。破産当日まで従業員にさえ知らせずにいた不誠実さがそれを物語る。

 

 

      

 

 

 

    

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

     

 

 

 

 

    

 

 

 

    

 

 

 

    

 

店舗の経営を単に経済活動としてみている立場と、地域との密接な関係を意識している立場とでは

その行動に全く違いが出るのはやむを得ないのであろうが、それにしても大沼の運営資金を自社に

飲み込んでしまうようなファンド会社を連れてきた行動は市民、県民、従業員にとって大きな不幸であった。

 

 

    

 

 

 

    

 

破産発表後、従業員が即日全員解雇になったといいながら「注文を受けた制服等はなんとかしたい」

とする経営側。全員クビにした上で誰がその業務を遂行できるのだろうか?謎であるが、それさえ

履行できなかったら本当の詐欺行為になってしまうであろう。

 

    

 

汚点だらけの最後になった上、従業員と長年愛顧した顧客の最後の場面となる終焉のシャッターが降りる

涙の別れさえ設定されなかった大沼の終わり方。単なる経済活動の失敗では済まされない罪深さである。

 

 

     

 

大沼屋上1965年ころ

 

 

入口の甘栗の匂いを嗅ぎながらエレベーターに駆け込むと「ご利用の階は何階でしょうか」とエレベーターガールの声。

屋上に着くと子供の歓声が渦巻く夢の世界。そのような時代を味わった世代にとっては今回の大沼の不幸は激痛であった。

世の中が進んだからといって幸福が訪れるわけではないと改めて思い知らされるのみである。

 

 

大沼 (1700-2020)

 

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