高橋商店
円応寺町の裏通りに忘れられたような木造の小さい店があった。
駄菓子屋のようでもあるが、生活用品も売っていて、今でいうコンビニのような店と言えた。
店の人が板の間にいて、客が一段低い土間に入る。欲しい商品が客の手が届かない所にある
場合は、店の人に言ってとってもらうというシステムは現代の店には見られなくなった。
店の人と話しこむときには、板の間のヘリに腰掛けている姿が当たり前のようにあったものだ。
子供が店に入るときには地方によるが、何かセリフを言うのも一般的だった。
ちなみに山形市周辺では「かーうー」と言いながら入ったものであるが、
新庄の一部では「はいっとー」、高畠の一部では、高畠の一部では「アアーン」と
言うのだと聞いたことがある。(間違っていれば訂正願いたい。)
個人商店は、コンビニやスーパーに駆逐され、そのままの生き残りは困難になった。
大型化、近代化するか廃業するかを迫られた上で消えていく店が多い。
消費税がさらに増税され、駄菓子と言えども課税対象である限り逃れることはできない。
事務的にバーコードスキャナをあてるだけのコンビニ会計とは異なり、子供が握りしめてきた金額では販売できなくなることを
一人一人に告げなければならない駄菓子屋店主もツラいであろう。「子供からの徴税」などという発想がなかったころの
おおらかな世の中でなければ、駄菓子屋も生きては行けないのだろう。
大きい子供についてきた小さな子がいつの間にか品物を手にして帰り、それに気づいた大きい子が
親に知らせると親が店に出向いて謝りながらお金を払う。店のおばさんは笑って許し、小さな子は
品物はお金と交換するものだということを学ぶ。・・・そんな微笑ましい風景もほとんど見られなくなった。
コンビニでの集団万引きで捕まった子供の親が「金さえ払えばいいんだろう」と凄むのとは全く違った世界である。