今は十三万人超の人口を数える鶴岡市も、旧鶴岡市の末期には
十万人を割り込み、その時点では市内には映画館さえ無くなっていた。
けれども昭和の最盛期の時代には鶴岡市にも五つもの館があり、
それぞれが賑わっていたようだ。家庭にテレビが普及したあとも
鶴岡スカラ座、鶴岡座、シネマ旭などは今は見られなくなった数本立てで
営業を続け、長期休みなどは子ども向けの娯楽作品を掛けたりした。
鶴岡座には今のシネコンほどではないにせよ、複数のスクリーンがあったようで
中劇場、大劇場、名劇場などの表示があった。子ども向けのものと成人映画を
同じ館で同時に映写していたことも多かったようだ。
家庭にビデオが普及し、レンタルなども当たり前になってくると、何とか
頑張っていた各館も急速に傾き、平成の初め頃か、鶴岡座もあっさり
閉館してしまった。そしてシネマ旭がそれに続き、鶴岡まちなかキネマ
ができるまでは鶴岡市には映画館不在の時代が続いたのである。