吉池医院
現在も山形市本町にその姿を残す吉池医院。
建造後100年を超えて中心街にその姿を残せるのは、所有者が不変であることに加え
所在地が七日町ではなく、本町であったことが大きいと思う。もう数百m北側だったら
取り壊され、商業地になっていたことだろう。
大正元年(1912)の建造であるとのことであるが、大規模な補修もなくオリジナルの姿を保っている。
周辺の建物や樹木は変化しているものの、石造りに見える(実際は木造モルタルとのこと)建物自体に
意匠変更は見られない。門柱の医院名は「眼科」を「小児科」に直した痕跡がある。
門柱も当時からのものと思われる
手前の建物は取り壊され、駐車場になった
明治44年に起きた山形市大火により県庁、市役所を含む中心部は灰燼に帰した。
この建物はその後まもなく建造され、手がけたのは山形県庁設計者の中條精一郎氏とのことである。
当時の手術の様子はじめ、室内の様子が古い記録写真に残されている。
現在でも現役の医院であるため、診察を受ける際には室内の様子を観察することができる。
入室する際には、靴を外に脱ぐ必要があるのが現代の建物と違って面白い。
1912年建造