続:ダイエー山形店

 

 

1972年(昭和47年)、専売公社工場跡地に進出した当時の有力スーパーマーケット

ダイエーは当初から強力な集客力を見せ、七日町の店舗を追い込む勢いだった。

 

 

  

外が見えるエレベーター

 

ここのエレベーターは当時他に全くなかった窓外透過式で、外の景色が見られるという

画期的なものであった。デパートではないものの、当初はエレベーターガールがおり、

丁寧な案内をしていた。下りの際、この中でジャンプすればちょっとは足が着地するのが遅れるの

ではという実験を試みたところ、エレベーターのお姉さんに叱られてしまった。

 

 

カルチュアスクール

 

開店当初、最上階は”味の散歩道”と名づけられていたような気がするが

レストラン街の設定であった。高く、景観の良い場所でお食事をどうぞという

ことだったのだろう。しかし、経営はあまり好調ではなく、やがてカルチュア

スクールや歯科医院などが飲食店と入れ替わっていった。

 

2階 入り口

 

ダイエーが七日町の既存の大店舗と違っていたのは、建物本体に駐車場が

設置されていて車を降りると直接店内にアクセスできることであった。

決して豊富なスペースではないため、常に駐車場に上る坂には車の列が

できている状態ではあったが、それでもなお、お客は辛抱強く順番待ちをして

2階駐車場に車を停め、小さな入り口から店内に列をなして入っていくのであった。

 

  

1階の様子

 

1階のホールではイベントやラジオの公開放送が行われることがあり、稀に

芸能人に会えるということがあった。これは県内では当時特に珍しいことだった。

入場料を払ってのコンサートとは違い、比較的短時間ではあったがこれも

ダイエーをプレミアムな空間にする効果があったようだ。

 

  

不二家レストラン

 

山交グループは古くから不二家と結びついており、鉄砲町の山交本社にも

不二家の店舗が付随していた。当然、山交ビルにもレストランが設定された。

 

   

地下の様子

 

地下の飲食店は地上の店舗に比べると、割合安価な、気楽に注文できる店が多かった。

初期にはミキサーを多数並べた生ジュース店などもあった。

 

各種公衆電話

 

携帯電話の普及していない時代には公衆電話は重要なアイテムであった。

利用客の集中した際を想定して、スーパー、デパートともかなりの台数を

設置していた。10円玉用の両替機が置かれる場合もあった。

 

 

占いコーナー

 

ダイエー末期には、空いた店舗スペースを何とか埋めようと、占い師を

何人か集め、占いコーナーの設置を行なっていた。アイデアを絞った結果だと

思うのだが、あまりうまくいかなかった。けれども山形にもこんなに占いを

生業にしている人たちがいたのか、という発見があった。

 

  

 

  

 

玩具売り場はダイエーの直接経営のものと、よしのやのテナント店があったため

2階にも4階にもおもちゃが売っていたという時期があった。他に電機製品や

鍋、釜なども販売されており、スーパーというよりやはり百貨店なのではないかと

思わせる商品構成だった。

 

  

食料品売り場

 

デパートと最も違うのは地下の食料品売り場であった。格式を重んじる傾向のある

デパ地下の店がやらない割引前提の商法がダイエーを下支えしていた。

買い物の量が多くなってしまい、荷物が重くても駐車場はすぐだし、自家用車がない場合も

裏から直にバスが出ますよ、という仕組みである。これがデパートにはできなかった。

 

ダイエー山形店  1972年(昭和47年)〜2005年(平成17年)

 

 

(topへ戻る)                (山形駅周辺にもどる)                     (元ページへ)