一時は隆盛を極めたスーパーダイエー。大阪創業の業界の雄が東北以北へ
初の進出地として昭和47年、山形駅前を選び山交グループと組んで出店した。
ダイエー(山交ビル)以前は専売局だった
開店当時は自家用車の普及率や主婦の免許取得率も低く、目論見通りバスを利用して
買い物客が市内各地から殺到した。以前はバスの路線、本数とも現在より格段に多く
バスの利用価値が高かったこともあり、交通会社とスーパーが組んだ成功の見本のようだった。
正面入口付近
昭和51〜52年頃に正面入口に乗用車が突っ込み、はねられた人が亡くなる事故があったように記憶している。
目撃した人の話では、突っ込んだ車種はトヨタセリカ、入り口付近は血の海になっていたとのこと。
側面入口
老舗の大沼デパートにさえ無かった吹き抜けホールや、外の景色が見えるエレベーター。
花時計広場にビヤホール、ボウリング場の併設、夜景を展望できるレストラン街。
全てが目新しく、新しい時代が到来したことを山形人に知らしめるような造りになっていた。
この位置には七色に輝く蔵王権現像があった
十字屋と共に「七日町の客を根こそぎ奪う」とまで言われた昭和50年代。
花時計広場を使ったイベントなども多数開催され、人気を集めた。
あの高さまで何台も車を運んで展示したり、広場の花を背景にモデル撮影会
などもおこなわれ、場合によってはヌードの企画も実行されたという。
食料品から家電品まで幅広い商品を地階〜四階まで詰め込み、五階には
ボウリング場と松竹映画館まで備えた完璧とも思える「デパート」だった。
(当時はダイエーもデパートと同様に認識されていた)
当時珍しかった外が見えるエレベーター
二基のエレベーターにはそれぞれエレベーターガールが乗っており、
現在のように自分で行き先階のボタンを押す必要はなかった。
五階ヤマコーボウル
南海からプロ野球団を買収するなど好調に見えた本社の経営。
しかし、それから程なくしてダイエーは経営不振に陥ることになった。
本社の不振に伴い一足早く8月に閉店した酒田店に続き、2005年11月20日
33年続いたダイエー山形店はその歴史に幕を下ろした。
ダイエー山形店 1972年(昭和47年)〜2005年(平成17年)