15.市内その他 11

 

消えたもの   琺瑯(ホーロー)看板

 

気がつかないうちに街頭から消えていってしまったものは数多い。

 

映画館の手描き看板、赤電話、駅の伝言板・・・・・

特に関心もなく、注目もしていないものほど「いつの間にか」消えている。

消えたからといって別段困るわけでもなく、むしろ生活は便利になっていくのだが

あとで気がついて想い出したとき、アレがあったあの時代のままではダメだったのだろうか

と思い起こすことになる。生活の忙しさを解消するために、今まで数多くの道具が発明され、

実生活に投入されてきた。しかしそれで本当に多忙が解消され、生活にゆとりが出来たであろうか。

 

人々の多くは「進んだ生活」を目指し、「遅れた」ものを廃棄し、バカにしながら生きてゆく。

職場では常に、「新しい発想」「新規開発」が求められ、勤勉に日々努力し前に進んだつもりで

身と心を削って働く。代わりに得た素晴らしいものがどれだけあるだろう?本当に今は10年前より

いい時代なのか?10年前は20年前より良かったのか?30年前は・・・・?疑問は尽きない。

 

電電公社の設置した看板

 

「電電公社」という名称さえ忘れ去られようとしている現在、この看板が現役で掲げられている

所は市内にはもう無いであろう。この写真は1991年の撮影であるが、この当時でさえ、この

看板の場所には公衆電話はなくなっており、現役としての機能は果たしていなかったのであった。

場所は山形市立図書館真北の廃業した商店の店先だったと記憶している。

 

 

どこにもあった大村昆

 

大村昆のオロナミンCの看板は、本当にどこにでもありふれていた。今見れば、

「なんでこんなオジサンが人気者?」と思ってしまうのだが、時代の空気というものか、

本当に看板設置当時は大人気だったのだという。メガネがずり落ちる様子がウケた

のだとか。とすれば、あとの時代になればタモリや明石家さんまが「なんでこんな

オジサンが?」と云われている可能性も大いにあるということか。

 

 

同じ大塚製薬のオロナイン

 

オロナミンにオロナイン、同じ会社の製品とはいえ、安易な命名だがそれで良かったの

だろう。実際充分以上に売れたのである。肌荒れ、切り傷にも効く薬が火傷も治すというのだから

まさに昭和のガマの油。子供には赤チン以上の「万能薬」と信じられていた。

 

 

 

水原弘 由美かおる

 

金属板にガラス質を焼き付けたホーロー看板の寿命は驚異的に長く、風雨に晒されたままで

3,40年は優にその画質を維持した。主に民家の壁や塀などに取り付けられるのだが、設置の際

なにがしかの謝礼は民家住人に支払われたのであろう。しかし、一旦取り付けられればほぼその家の

寿命をカバーするほど長持ちするため結果的に広告塔として使用された壁や塀の使用料は格安だったと

いうことになる。現在の住宅で、30年も貼ったままになる広告の掲示を承諾する所有者はどれだけいるであろう?

また、1回の出演料で数十年も宣伝に使われることを了承する芸能人も今はいないに違いない。(アースの水原弘は

亡くなったあとでさえ延々とハイアースの宣伝をさせられていたが)

 

 

 

ホーロー看板が姿を消すのは、取り付けられた建物が建て替えにより姿を消すときに運命を共にするためで

広告主が貼り替えのために撤去するということはほとんど無かったようだ。それだけ昔は契約感覚もはっきり

していなかったということと、長寿製品が多かったということかもしれない。実際、ここにあるような看板の製品は

今もなお、店頭に出ているものが殆どである。(頭痛薬「ノーヂ」だけは見かけたことはない。”脳治”か?)

 

いくらホーロー看板が驚異の長寿命を誇っても現在、その特性を生かそうという広告はなくなった。

何十年も宣伝し続ける意味が失われたからである。新製品はポスターで宣伝して売り出し、その

ポスターが色褪せる頃には廃版になっている、ということが珍しくないほどである。

いったい、何を目指して、どこに向かってそれほど急いでいるのであろう。

 

 

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