大沼山形店 1

 

 

2020年1月26日、当日まで従業員にさえ知らされぬまま、大沼デパートは倒産、閉店した。

創業より320年目の突然死である。次の日には県内はその話題が渦巻き、影響の大きさが窺い知れた。

 

 

 

店頭の甘栗太郎が長年の相棒

 

長く七日町の中心として聳えた大沼デパートの現在の建物は昭和31年に建てられたもので

それ以前は2階建ての雑貨店形式であったようだ。もちろん320年の歴史があるわけで

建物はそれ以前にも何代かに亘っているのであろうが画像としては把握できていない。

 

 

先代の大沼店舗

 

 

デパート(デパートメントストア)は日本語では百貨店とされ、あらゆるものを取り扱う

万能店としてのステータスを誇っていた。最近の情勢からは想像も難しいが

かつては大沼で家具や電化製品、さらには原付や自動車、冬にはスキーなども売っていた。

 

 

店頭で車の販売までしていた

 

百貨店は あらゆる人を対象にしており、子供の欲しいものもお年寄り向けのものも

おじさんのものも おばさんのものも扱うのが当たり前であった。しかし、いつからか

対象を絞るという形で百貨店の変質が始まった。最初に切られた対象が子供であった。

子供は購買者ではないのに子供向けの遊具等を準備しておくのは不合理だとの判断が

あったのだろう。屋上遊園地の収益は確かに取るに足らないものであったのかもしれない。

 

      

 

   

     

 

 

しかし、子供の居場所はそこで利益を生むために用意してあるのではない。

例えば家族で買い物に来た時にはお母さんが服を選ぶ間、子供がじっくりつきあうことは難しい。

その間、お父さんと遊園地で遊んで待つのが正解。子供と大人の楽しみ双方を

用意してあるから家族は百貨店に集まったのである。

 

    

 

しかし、百貨店はお客を大人に絞りたかった。できれば金持ちのご婦人に来ていただければ

大人の世界としての新たな百貨店像が描けるだろうと思ったのであろう。遊園地に続いて

玩具売り場も縮小を続け、子供の居場所は完全に消え失せた。

 

 

          

 

 

 

 

         

 

お客として無力な子供を切り捨てたとて客足に影響はないと思えたかもしれないが

やがて子供は大人になった。楽しい時を大沼で過ごした人たちと、何も思い出を持たない人たちが

大沼に同じ思いを持つことはできなかった。当初想定した顧客の層が絶えた頃、来るべき次世代は

子供の頃楽しい思いをしたイオンに足を向けるようになった。駐車場の問題も勿論あるのだろうが、

「子供は次世代の消費者である」という当然の事実を見誤ったことも百貨店没落の大きな要因だろう。

 

 

     

 

 

 

 

 

        

 

 

経済面からの百貨店経営の問題は多々あろうが、詳しい専門的なことはわからない。

けれども情緒的な面から言えば以上のようなことが想定できる。多くの市民、県民に

親しまれた大沼であったが、大沼の側が以前と変わらぬ思いを客に持っていたかは疑問である。

従業員個人個人は真摯であったのだと思うが、長年愛顧した顧客のみならず、当日まで従業員に

さえ知らせることなく破産を宣告し、即刻営業を停止するなどの対応から最終経営者は

単に大沼をビジネスの対象としてしか見ていなかったことが伺える。

 

 

 

      

 

 

七日町通りで七夕が行われていた頃

 

 

 

 

つづく

 

 

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