小白川 緑町 東原
山形大学周辺
大学周辺とはいえ学生はまだ貧しかった頃、周辺の店々はそう栄えるはずもなかった。
山大前通りの昼景、夜景(前方突き当たりが山形大学)
石造りの店 サトウ靴店
東原の裏通りにあった洋品店
看板の文字も消えて久しく、店名も定かではないが「?栄堂」であったような気がする。
店自体は現代のニーズに対応できなくなったことと建物の老朽化により、80年代中頃には
取り壊されたが、看板横の「不用品」の文字は未だに記憶に残る。今でいうリサイクルの機能を
持った店であったのだろうが、最後には自らを刻印する看板になってしまったことが皮肉であった。
不用品 の看板がわびしい 尾崎床屋前
山形大学敷地内 サークル棟 ハモニカ長屋
山形大学前方面を望む 七日町方面を望む 右側の角には交番があった
この辺の様子は20年間あまり変わっていない
山形大学北側 山形大学前通りを南に進む
山形大学北東にあった貸しリヤカー
大学付近にはリヤカーを貸してくれる自転車屋があった。今ではリヤカーを曳いた経験どころか、見たこともないという
学生もいるが、以前は学生の荷物移動(下宿、アパートの住み替え 展覧会など)にはリヤカーが大いに活用されていた。
一台いくらで貸してくれたか記憶にないが、さほど高くはなかったように思う。これを曳いて歩くとき、車両のようでもあり、
徒歩のような気もして、道路の左右どちら側を歩くか迷ったものだが、正しくは左(自転車同様軽車両)であったようだ。
旧山形南高
旧山形南高 1980年 東原南高前通り1995年
今は少し離れたところに移転した「あすなろ食堂」の看板が見える。
学校向かいの青果店には80年代にはインベーダーゲームなどの
テーブル式ゲーム機器が置いてあったようだ。
旧山形南高1980年頃
山形南高の木造校舎はあくまで地味で渋かった。外壁から屋根上に向けてストーブの煙突が伸びていた。
東原交番 この後ここに交番は設置されなかった
東原の交番は、周辺に高校、大学を抱え忙しい思いをしていたことだろう。
特に深夜の大学生の酔っぱらいの扱いは定例業務になっていたに違いない。
小荷駄町近辺
小荷駄町四辻 まだ信号はない 三日町方面から東を望む
小荷駄町四辻は写真左が六中方面で、人が歩ける程度の通路を拡幅し、隆勝寺の墓地を移転して
道路にしたものである。写真の右に延びる道はまだ大通りには接続しておらず、民家に突き当たっていた。
三日町から小荷駄町方面に延びる道は、四辻の手前で御社の石垣に行き当たりクランク状になってしまうため
一時、御社を移転し道路をまっすぐ通してはどうかという話もあったようだ。交通優先で墓や神社さえ移転させる
例が多い中で、幸い、ここは残されることになり、現在もそのままの姿である。この判断は歴史的意義の重視か
石垣移転の難しさによるものかは不明であったが、適切であったと思う。
小荷駄町近辺の商店
このあたりには古い木造の個人商店が点在していた。その多くが今は淘汰され姿を消した。