アサヒビール園(現:パチンコベガス)の周辺には、ここが以前山形交通の本拠地であったことを示すいくつかの建物があった。
不二家の裏に古い建物がある
この建物は 山形交通バスの研修所であったという
交通産業が隆盛だった頃、誰もがバス、タクシー業は今後永久に栄え続けるものと信じていた。
バス路線網は山中の小道にさえ及び、タクシー運転士には多額のチップ収入があった。
一家に自家用車があったとしても、運転できるのは父親だけで、年寄りや母親と出掛ける子供は
バスに乗るのが普通だった。バスには車掌さんがいて(ガイドではない)行き先までの切符を売ったり、
踏切通過の際の誘導などをしていた。次の停留所を告げるのも、運転士(ましてやテープなど)ではなく車掌さんの仕事であった。
木造の倉庫もあった
昭和30年代の雰囲気が漂う
バスが入庫していたのだろう
廃止された区間の停留標識
やがて自家用車の普及がめざましくなり、女性の免許取得率が急激に上がると、年を追うごとにバス路線は
削減され、山形交通本社の敷地には廃車、休車が増えていった。自家用車を手にした人々は、たとえ、街中で
駐車場探しのために延々と苦労するにしても、バスに戻ることはなかった。
廃止された区間の停留標識は、さながら位牌のように名を記したまま立ちつくしていた。
(2002.11訪問)